ポートランドはマイノリティには住みにくい?日系アメリカ人の歴史をたどる旅~オレゴン州ポートランド編

オレゴン州ポートランド 

隣接しているカリフォルニア州やワシントン州の大都市は人種の多様感があるけど、オレゴン州だけ白人率が高いのはなぜ?オレゴン州での日系アメリカ人の歴史を知りたい。

そんな疑問にお答えします。

本記事の内容

  • オレゴン州のユニークな人種差別の歴史
  • ポートランドにも日本街はあった
  • ポートランドの魅力はすごい日系アメリカ人の功績が大きかった!

新しい都市を訪れたとき、真っ先に気づくのは人種の多様性があるかないかです。これまでにいくつもの大都市を訪ねて来ましたが、ポートランドで違和感を感じたのは人種の多様性の低さでした。長年の差別の影響でホームレスの方などは有色人種の方々をよくみかけますが、ポートランドでは白人のホームレスの方々の比率の高さに驚きを感じました。そんなポートランドでも日本街があったというのは驚きです。なぜカリフォルニアやワシントンのように人種の多様性がないのか、日系アメリカ人の歴史も含めてポートランドでたどってみました。

目次

オレゴン州の人種の多様性とユニークな歴史

ポートランドは2021年の国勢調査の結果によると白人が77%、アジア人が8%、黒人が6%でした。ちなみに一般的に白人が多いといわれている筆者在住のミネアポリスは白人が64%、黒人が20%、アジア人が6%、二つ以上の人種が5%、他の人種が5%、ネイティブ・アメリカンが1%となっています。どうして大都市でしかも西海岸にあるのにポートランドは人種が多様でないのか調べてみると、驚きの歴史がありました。

オレゴン州は北部の州としては最も有色人種排他の姿勢の強い場所だったというのです。オレゴン州はアメリカの州で唯一、黒人の居住を禁止したという歴史があります。奴隷制を支持しないという建前で作られた州法が実はすでに居住していた黒人の人々を州外に実質追い出す目的であり、黒人の人は退出するまで半年ごとに鞭を打つという刑罰を科すというとんでもない法律だったのです。奴隷であった人々にもアメリカの国籍を与えるという法律が成立したのが1868年ですが、オレゴン州が正式に批准したのはなんと1973年!人種を問わず選挙権を与えるという国の法律が成立したのが1870年ですがオレゴン州が正式にこれを批准したのは約90年後の1959年でした。

さらにはKKK(クー・クラックス・クラン)の台頭が目覚ましかったという暗い歴史もあります。オレゴン州はなんと人口当たりのKKKのメンバー率がアメリカで一番高かったというのだから驚きです。KKKのメンバーが州知事を務めたこともあるという事実もあります。もともと有色人種はほとんど住んでいないのに反感は強かったのですね。

チャイナタウンと日本街

そんなオレゴン州ですが1850年代のゴールドラッシュでは中国人が金鉱労働者として入植し、1870年には3千人以上の中国人がオレゴン州に在住し、金鉱労働だけでなく鉄道工事やお手伝いさんなど様々なお仕事に従事していたそうです。チャイナタウンが1872年に大火で燃えた事件は反中感情での放火が原因であろうとされています。あまり知られていませんが、1887年には31~34人もの金鉱労働者の中国人がオレゴン州で殺害されています(Hell’s Canyon Massacre)。犯人達の身元は明らかでしたが、誰もなんの刑罰も受けなかったそうです。このころ反中感情の高まりから、各地でチャイナタウンを狙った襲撃がおきていました。一時はポートランドのチャイナタウンはアメリカで2番目に大きいチャイナタウンだったそうです。

1882年に中国人排斥の法律が成立して中国人の入植が難しくなると、日本人の入植が増えました。もともとは日本にいた貧しい農家の方々が入植し、農業に従事していたそうです。その後中国人労働者が減ったこともあり、日本人も鉄道を敷く工事の仕事をしたり、家政の仕事に従事していました。差別により住めるところが限られていたこと、お互いを支えあって生きるためにポートランドにはオールドタウンとサウスウエスト地区の二か所に日本街が形成されました。さらには鉄道に乗って東にあるフッド・リバーにも日本人のコミュニティがありました。新しく農業地を開拓する人材として日本人が雇われ、労働の対価として土地を少し分けてもらえたのです。自分の土地を手に入れた一世はイチゴ農園を始めて大成功したため白人から反日感情をかい、1923年には外国人が土地を所有することが禁止になってしまいますが、ほとんどの土地はアメリカ人である2世の名義となっていたため、多くの日系人が土地を保持することができたそうです。

フッド・リバーの日系一世はフッド山を見て富士山を思ったそうです。

1941年12月の真珠湾の攻撃後は反日感情が一気に増し、日本街のリーダー的存在であった人々が政府に理由もなく逮捕され監禁されました。 フッド・リバーからは地元日本人の有力者であったヤスイ氏が逮捕されています。ヤスイ氏の息子で弁護士だったミノルさんは、1942年に日系人の強制収容を定めた9066条は憲法違反であると法的にチャレンジするために自ら夜間外出禁止令を破り、ポートランドで逮捕されています。ミノルさんは一時は裁判所より市民権をはく奪されたものの、最高裁にて市民権は復活、しかしながら9066条は合憲であるとの判決で敗訴の結果でした。

日系人の強制収容が始まり、ポートランドの日本街と フッド・リバー の日系コミュニティは住んでいた人々が強制収容されたことで終わりを迎えます。戦争が終わり元のコミュニティに戻ってきた日系人は激しい差別を受け続けたそうですが、中には日系人への差別に抗議をしたり、お店で販売を拒否される日系人のために、食料品など必要なものをかわりに買い出しに行くなど、支えてくれた白人アメリカ人も少数派ながらにいたそうです。 フッド・リバー は地元の裁判所の壁に載せていた兵士たちの名前の中から16人の二世の名前を消したことで当時は全国的な大きなニュースになり、全国から抗議の手紙が市に何通も届いたそうです。ポートランドの日本街は強制収容されていた期間に中国系アメリカ人が入居しており、かつてのような活気のある日本街は再生できませんでした。

現在のチャイナタウン 

ポートランドの魅力に大貢献した日系人も

ポートランド出身で日系人の有力者であったビル・ナイトーは戦争が始まると強制収容を免れるためソルトレイクシティに移り住み、教育を積んで戦後の1950年代にポートランドに戻り、兄弟であるサムさんと元日本街の再開拓に尽力しました。彼は状態の悪かった建物をいくつも購入し、美しく改装しお店やビジネスを築きました。この辺りをオールドタウンと改名し、イメージ改善をはかったそうです。彼の所有するビルの屋上にある有名な白鹿の看板の横の貯水槽にオールドタウンと書いて宣伝したのです。ナイトー氏はオールドタウンの復興だけでなく、ポートランド全体の活性化に強い影響を与えました。彼が尽力して実現させた都市開発プロジェクトはMAXライトレールやストリートカー1万本の木をポートランドに植えること、サタデー・マーケットの開催地の土地を彼が市に寄付、市による歴史的なユニオン駅購入・保護など。全米で住みやすい街として知られるポートランドの魅力の多くは彼の影響を強く受けているのです。

彼はさらにオレゴンの日系人の歴史を語り継ぐ努力にも力を惜しまず、日系アメリカ人歴史プラザの建設にも関与しています。桜並木がありますのでぜひ春に訪ねてみましょう。彼が亡くなる頃には現在のランスー中国庭園の開設に向けて尽力されていたそうです。1966年に病気で彼が亡くなったのち、彼の功績をたたえようとポートランド市がウィラメット川沿い、オールドタウンの通りをナイトー通りと改名しています。ウォーターフロント・パークにはナイトー氏の功績を記念したビル・ナイトー・レガシー噴水も設置されています。有名な白鹿の看板やオールドタウンの貯水槽などぜひ、ナイトー氏の軌跡をたどってみましょう。オールドタウンにはジャパニーズ・アメリカン・オレゴン博物館もあります。現在はコロナのため予約制ですが、小さな博物館の中にはオレゴンの日系アメリカ人の歴史が満載されているのでこちらもぜひおすすめします。

オールドタウンの白鹿の看板は今では観光名所の一つ 

先述のヤスイ・ミノルさんですが、戦後も活動を続け1983年に強制収容の理由が人種差別であったという新しい証拠を手に、9066条を合法とした判決を再度訴え、1943年の最高裁による9066条は合法であるという判決を覆したのでした。ヤスイ・ミノルさんは死後の2015年、オバマ大統領から大統領名誉勲章を授与されました。

オレゴン州というと日系人のイメージが全くなかったのですが、今回ポートランドを訪ねてみて、後世に残る日系アメリカ人の功績を知ることができました。苦境を乗り越えて活躍した世代の功績をぜひポートランド観光とともにたどってみてくさだい。

情報源

Oregon Public Broadcast: オレゴンの日系アメリカ人の歴史ドキュメンタリー(英語)

The Atlantic: ポートランドの人種差別の歴史。最も白人が多い都市、ポートランド

https://www.theatlantic.com/business/archive/2016/07/racist-history-portland/492035/

The City of Portland:ポートランド、チャイナタウンの大火

https://www.portlandoregon.gov/fire/article/333882

Travel Oregon:オレゴンの中国系アメリカ人の歴史

https://traveloregon.com/things-to-do/culture-history/exploring-chinese-history-oregon/

History Channel: ヘルズ・キャニオンの大虐殺

https://www.history.com/topics/immigration/hells-canyon-massacre

National Park Service: フッド・リバーの日系人の歴史

https://www.nps.gov/miin/learn/historyculture/hood-river-valley.htm

Oregon Encyclopedia:オレゴンにおける日系人強制収容の歴史

https://www.oregonencyclopedia.org/articles/japanese_internment/#.YZW5k7pMHD4

Travel Portland: ジャパニーズ・アメリカン歴史博物館

https://www.travelportland.com/culture/japanese-american-history

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この記事を書いた人

ミネアポリス在住。アメリカの大自然や多文化に魅了された旅ブロガー。アウトドア系の旅行が特に好きで一人旅も多い。ちょっと怖がりなのでそれを克服する動機としてブログ開設。小心者の視点からのブログで同じような性格の女性にもアメリカ旅行を身近にしていきたいと願っている。

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